【実施内容とレポート】
通年講座も折り返し過ぎ。レジュメの提出が半分以上期日より遅れたことに対して、大谷さんからもう一度締切の意味を説明。
印刷が大変とか事前に読めないというもっと以前に、とにかくレジュメを書けばいい。と、その場を乗り切る真反対に、「自分の文章を書く」という行為がある。だれから何を言われるでもなく、誰にも求められていない(かもしれない)ものを自分の外へと押し出すこと。48時間前という少し長めの締切に込めているのは、そんな書くことへの態度を見つめる視線だ。
さて、ゼミの中身は佳境に入り、「書く」ことにとどまらず、広く社会や時代的な発展にも関わる部分が面白く、以下、講師(大谷さん)の話を再現する形でレポートしていきます。
「このはじまりは、明治維新くらいを想定したらいいと思うんですけど、資本制度がそのあたりから入ってきて浸透していく、で、それが一旦、社会的に行き渡るのが大正末年くらい。そう吉本は考えていると思います。
そのときに個人の生活が変わっていったというのは、今からは想像しにくいんだけど。その延長に現代があるので、今とのつながりを意識してみると、なんとなく思い当たることがあるんじゃないかなと思います。
例えば、ぼくだったら思い浮かぶのは、買い物に行くっていうと市場に行っていた。魚屋で魚を買い、八百屋で野菜、肉屋で肉を、というふうに買っていたんですよ。それがスーパーで全部変えるようになって、今はネットで全部変えるようになってるんですけど。
これどういうことかというと、買い物に行って、魚屋にいって、サバとイワシがいくらで、どっち買おうか。八百屋に行って、きゅうりとトマトを見て何を買おうか、とやっていくと。で、スーパーができると、イワシとトマトと肉と比べて、お店っていう枠組みが外れて何を買おうか、という意識が持てるようになっていく。
資本制度が行き渡っていくっていうのはそういうことで、「ローラーでおしならされたように」それ以前の区分とか区別がなくなって、交換可能になっていく。
個人の話として考えてみると、このあたりは新興住宅街で、ぼくはこのあたりで生まれたんだけど、母親の田舎の秋田にいくと「亀屋の孫」って呼ばれるんですよ。そういう酒屋に生まれたら酒屋の子。魚屋に生まれたら魚屋の子。っていう意識って、おそらく明治以前にはもっと強くて、武家に生まれたら武家の子。商人の子は商人の子。というふうに、生まれた瞬間から自分の外に、自分を決める要素があった。
そういうのが、どんどんなくなっていく。生まれただけでは、自分が何者かが決まらない。「新興住宅街の子です」とは言えなくて、均質化していく。
そうやってありとあらゆる面で均質化が進むと、自分がなんのために生きているのか、なぜ生きているのか、みたいなことに、なにも紐付けられない状態になっていく。たぶんそういう社会の変化を敏感に感じて作品にしたのが文学者で、それから100年くらいたった今では、それが日常的な生活まで降りてきていて、だれもがそういう均質化に直面していんだけど、そういう不安定な、何者でもない状態だからこそ書けることを書いたのが、あるいは今も書き続けているのが文学者、なんだと思います。」
「これはどっち」って言うときは、現実にある言葉とか作品はどっちの属性も持っているけど、ある抽象面まで押し上げることで区分をつける。だから現実的な作品をどっちかに分けるように考えないように気をつけておくとわかりやすいかなと思います。
その上で、文学体がなにかというと、文学体は表出面を押し上げるとそれ以前には戻らない。「塑性」とか「可塑性」とかって言ったりするんですけど、これは弾塑性学っていう材料力学とかで使う言葉なんですけど、「塑性」って粘土みたいなものなんですよ。ぎゅって握ったりして形を変えると、離してもそのまんまっていう。で、弾性っていうのはゴムみたいな、力をかけると曲がるけど離すと戻る。
なので、文学体っていうのは、曲がったまんま戻らない。変わったまま戻らない、っていうイメージ。話体っていうのは、いろんな曲げ方、変わり方ができるんだけど、その作品の中だけで、そこから外れるともとに戻っちゃって、言語空間を捻じ曲げたりはしない。
だから文学体がちょっとずつちょっとずつ押し上げるように変化させていった言語空間の中で、話体がバッと広がるんですね。で、これさっきも言ったように、話体だけの作品とか、文学体だけの作品があるわけじゃないので、そういう風に考えると行き詰まってしまうので、気をつけないといけないんですけど。」
だから「意味がわからないけどなんか雰囲気あるよね」っていうその雰囲気は大事にしたほうがいい。分かるとか分からないに二分しない。これくらいは分かった。このあたりが分からないけど、こういう感じがする。と粘りながら場所を作っていく。
これ、書くことも表裏になっていて。現状うまくいかない。どうしたらいいんだろう。という状態でこそ書く意味があるというか、表現が自由を得る。そういうときに踏ん張って、その自分のどうしようもなさを丸ごと提示できたら、表現したって言うことになる。「筋力」とか「保留する力」って最近言ってるのは、崩れていくときに踏んばって、この崩れていく風景をどうにかして出してやれっていう。自分の一番つらいところを出していくというか、つらいときに表現のチャンスが来る。
それぞれの人がそれぞれの自分の中で、どういうことが起こっているのか、が意外と、というかやっぱり重要で。そうすることでだんだん場所が出来てきて、立ってられるようになったり、そのうち寝転んだり走ったりできるようになっていくんじゃないかなと思います。」
第3回レポート その二
第1回レポート
この日も前日の余波で写真を取り忘れていたので、第二回の写真を再掲載しておきます。 |
通年講座も折り返し過ぎ。レジュメの提出が半分以上期日より遅れたことに対して、大谷さんからもう一度締切の意味を説明。
印刷が大変とか事前に読めないというもっと以前に、とにかくレジュメを書けばいい。と、その場を乗り切る真反対に、「自分の文章を書く」という行為がある。だれから何を言われるでもなく、誰にも求められていない(かもしれない)ものを自分の外へと押し出すこと。48時間前という少し長めの締切に込めているのは、そんな書くことへの態度を見つめる視線だ。
さて、ゼミの中身は佳境に入り、「書く」ことにとどまらず、広く社会や時代的な発展にも関わる部分が面白く、以下、講師(大谷さん)の話を再現する形でレポートしていきます。
大正から昭和にかけて文学者が直面した「『私』意識の解体」について。
「このはじまりは、明治維新くらいを想定したらいいと思うんですけど、資本制度がそのあたりから入ってきて浸透していく、で、それが一旦、社会的に行き渡るのが大正末年くらい。そう吉本は考えていると思います。
そのときに個人の生活が変わっていったというのは、今からは想像しにくいんだけど。その延長に現代があるので、今とのつながりを意識してみると、なんとなく思い当たることがあるんじゃないかなと思います。
例えば、ぼくだったら思い浮かぶのは、買い物に行くっていうと市場に行っていた。魚屋で魚を買い、八百屋で野菜、肉屋で肉を、というふうに買っていたんですよ。それがスーパーで全部変えるようになって、今はネットで全部変えるようになってるんですけど。
これどういうことかというと、買い物に行って、魚屋にいって、サバとイワシがいくらで、どっち買おうか。八百屋に行って、きゅうりとトマトを見て何を買おうか、とやっていくと。で、スーパーができると、イワシとトマトと肉と比べて、お店っていう枠組みが外れて何を買おうか、という意識が持てるようになっていく。
資本制度が行き渡っていくっていうのはそういうことで、「ローラーでおしならされたように」それ以前の区分とか区別がなくなって、交換可能になっていく。
個人の話として考えてみると、このあたりは新興住宅街で、ぼくはこのあたりで生まれたんだけど、母親の田舎の秋田にいくと「亀屋の孫」って呼ばれるんですよ。そういう酒屋に生まれたら酒屋の子。魚屋に生まれたら魚屋の子。っていう意識って、おそらく明治以前にはもっと強くて、武家に生まれたら武家の子。商人の子は商人の子。というふうに、生まれた瞬間から自分の外に、自分を決める要素があった。
そういうのが、どんどんなくなっていく。生まれただけでは、自分が何者かが決まらない。「新興住宅街の子です」とは言えなくて、均質化していく。
そうやってありとあらゆる面で均質化が進むと、自分がなんのために生きているのか、なぜ生きているのか、みたいなことに、なにも紐付けられない状態になっていく。たぶんそういう社会の変化を敏感に感じて作品にしたのが文学者で、それから100年くらいたった今では、それが日常的な生活まで降りてきていて、だれもがそういう均質化に直面していんだけど、そういう不安定な、何者でもない状態だからこそ書けることを書いたのが、あるいは今も書き続けているのが文学者、なんだと思います。」
吉本の思想的な癖。文学体と話体について。
「例えば文学体と話体がそうなんだけど、きれいに2つのかごに、これは文学体、これは話体、というふうに分けていかなくて、どっちに重心があるか、どっちの特徴がより表れているか、と考えるのが吉本。「これはどっち」って言うときは、現実にある言葉とか作品はどっちの属性も持っているけど、ある抽象面まで押し上げることで区分をつける。だから現実的な作品をどっちかに分けるように考えないように気をつけておくとわかりやすいかなと思います。
その上で、文学体がなにかというと、文学体は表出面を押し上げるとそれ以前には戻らない。「塑性」とか「可塑性」とかって言ったりするんですけど、これは弾塑性学っていう材料力学とかで使う言葉なんですけど、「塑性」って粘土みたいなものなんですよ。ぎゅって握ったりして形を変えると、離してもそのまんまっていう。で、弾性っていうのはゴムみたいな、力をかけると曲がるけど離すと戻る。
なので、文学体っていうのは、曲がったまんま戻らない。変わったまま戻らない、っていうイメージ。話体っていうのは、いろんな曲げ方、変わり方ができるんだけど、その作品の中だけで、そこから外れるともとに戻っちゃって、言語空間を捻じ曲げたりはしない。
だから文学体がちょっとずつちょっとずつ押し上げるように変化させていった言語空間の中で、話体がバッと広がるんですね。で、これさっきも言ったように、話体だけの作品とか、文学体だけの作品があるわけじゃないので、そういう風に考えると行き詰まってしまうので、気をつけないといけないんですけど。」
読むという体験。書くということ。について。
「自分にとって「読んだ」という体験は、合ってるか間違っているかというのとは別の問題。「わかんねーっ!」って「でもちょっと分かるかも」っていう体験から、場所を作っていく感じ。最初はちっちゃなちっちゃな場所で、「こんなんでいいのか」っていう孤独に耐えないといけない。体験だから次に読んだら違う体験になってたりするんだけど、そういうもの。だから「意味がわからないけどなんか雰囲気あるよね」っていうその雰囲気は大事にしたほうがいい。分かるとか分からないに二分しない。これくらいは分かった。このあたりが分からないけど、こういう感じがする。と粘りながら場所を作っていく。
これ、書くことも表裏になっていて。現状うまくいかない。どうしたらいいんだろう。という状態でこそ書く意味があるというか、表現が自由を得る。そういうときに踏ん張って、その自分のどうしようもなさを丸ごと提示できたら、表現したって言うことになる。「筋力」とか「保留する力」って最近言ってるのは、崩れていくときに踏んばって、この崩れていく風景をどうにかして出してやれっていう。自分の一番つらいところを出していくというか、つらいときに表現のチャンスが来る。
それぞれの人がそれぞれの自分の中で、どういうことが起こっているのか、が意外と、というかやっぱり重要で。そうすることでだんだん場所が出来てきて、立ってられるようになったり、そのうち寝転んだり走ったりできるようになっていくんじゃないかなと思います。」
第3回レポート その二
第1回レポート
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