【第1期】第4回レポート その二 言語美ゼミ編

2019年5月23日木曜日

開催レポート

【実施内容とレポート】

ついに会場の人数よりZOOM参加の人数が多くなる。

 この日は木下さんが体調不良のためZOOM参加となり、伊吹となっちゃんは予定があって会場を後にしたため、会場には大谷さんとみおちゃん、一般参加の奥田さん、と僕の四人。対してZOOMでは5人のパソコンがつながれていました。

自分で言うのもなんですが、この日盛り上がったのは音読。ぼくとしてはレジュメを書くために他にやりようがなく、どうしようもなく書いたような気がするんですが、当日レジュメを説明する代わりに時間の限り音読ばっかりしてみたら、意外や意外、それで体感的に文体の違いが感じられた、というような感想もいただきまして、音読家(ってあるのかしらないけど)としてはこれ以上の喜びはありませんでした。

音読された本たち。

 話はそこから、それぞれの読み方の話へ進んだのですが、これについてみおちゃんのブログに感想があるので、引用させてもらいます。
 自分の読み方、書き方がわかってきた。
 文章を読むときに黙読して音がなるという人、ならない人がいる。そしてその音が聞こえて文章がわかるという人もいるし、聞こえないから自分で音読してわかっていくという人もいる。これはこの講座の講師と主催のふたりの特徴だ。自分はなんだかどちらもものすごくは当てはまらない。音はならない。で、音読がすごく効果的かといえば多少効果があるのでそうすることもあるけどそこまでではない。
 そういう分類の中にこれを入れてもいいのかな、と思うけど、わたしが読めた感じがするとき、レジュメを書こうと思えるときには視覚的な像を得ているように思う。

 大谷さんとはよくこういう話をしてますが、読むという行為にこれほど個人差があるという話を、ぼくは今まで誰からも聞いたことがありません。大谷さんは、僕との違いが分かるまでは誰でも黙読で音が聞こえるものだと思っていたし、ぼくも以前は、音読すれば誰だってテキストの声とのズレや、声に出すことで得られる体感があるものだと思っていました。みおちゃんのような読み方もあるのだとすれば、これはもう人の数だけ読むという体験は違うと思っておいたほうが良さそうに思います。

 そして、この読む体験は、その人の書き方に密接につながっていると見て間違いはなさそうです。読むときに音だけがはっきり聞こえる大谷さんは、書くときに頭の中で何度も声を鳴らしながら書きます。音読では音がならず、声に出すことで文章の雰囲気(像というより)を掴む僕は、自分が書こうとすることの雰囲気やトーンを掴まないと書けません。みおちゃんはどうも、読むことで視覚的な像を掴もうとし、ひとまとまりのイメージを書くらしい。

 こう書くと、特殊な能力や生まれながらの運命みたいなもののように聞こえそうですが、どれも本人にとっては当たり前過ぎて人との違いが分からなかったものだったりします。そういうことに気づけること自体、ある種の幸運を伴うのかもしれないけれど、読むと書くというのはそういう自分にとっての当たり前を見つめ続けるようなところがあって、自覚していても居なくても、そうやって自分に直面しながらやっとのことで押し出されたような文章は、面白いなと思います。

 それにしてもこのゼミ、レジュメの提出数が衰えないどころか、今回は最多の7つ。これが印刷してみるとなかなかの量になるんです。レジュメを書くために本を読み、当日までにレジュメを読んで、講座でも読んで、ってこの「書く通年講座」、本当に読んでばっかりの講座です。


これまでのレポートも併せてどうぞ。
第4回レポート その一 精読講座編
第3回レポート その二
第1回レポート