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2019年4月25日木曜日

【第1期】第3回レポート その一

このスタイルでそろそろ落ち着いてきた



【実施内容とレポート】

・一日目(4/20)
 13:00~15:00 精読講座(1巡目) 1人目(トミーさん)
 16:00~18:00 精読講座(1巡目) 2人目(みおちゃん)

・二日目(4/21)
 13:00~17:30 「言語にとって美とはなにか」講読ゼミ 第三回


 三回目ともなると安定期に入ったようで(講座自体が生み出されていく緊張感や不安定さがあった二回目までと比べて)、一通りのやり方や勘所を押さえて、二回目までの土台の上でいよいよ各自の探求を始めていく、といった雰囲気。


 今回は、精読講座で文章を提出した二人がそれぞれその感想を文章にしているので、提出した文章とあわせて、精読講座で一体何が起こっているのかについて、迫ってみたいと思います。感想の前にトミーさんの文章をいったん読んでみようと思います。

 


 書き込みがあるとどうしても目がいってしまいますが、もちろん当日目の前にあるのはなんの書き込みもない文章です。これを、何度も読みながら、それぞれ線を引いたり言葉を書き込んだりしながら、「その文章を読んでいる体験」についてメモしていきます。前回「探して読むのではない読み方」と言ってたやつですね。
 
 もう少しいってみると、たとえば面白いとか面白くないとか、伝わるとか伝わらないということも体験としてもちろん受け取るんだけど、どれか一つの感覚を中心にしたり重みをつけたりしない、ということ。どれか一つの感覚に焦点が当たったままの状態だと、それにヒットするかヒットしないかを探して読むことになりますが、体験って1か0か、白か黒かというよりは、無限の色の移り行きがあるような豊かさがあるなと思います。

 そのなかであきらかに鋭く伝わってくるものがあったり、何度読んでもぜんぜんわからないところがあったりするとして、そのとき、どんな言葉がどのように作用してそうなっているのか、ということをできるだけ丁寧に言葉にしていくわけですが、これがなかなかやってみると難しい。言葉にならないような体感としてはあるんだけど、これってどう言ったらいいの?とまるで文章を書くときのように、言葉に詰まったりします。

 さて、ではそろそろ文章に入ってみましょう。まず冒頭。
とりあえず書いてみる
 2019/04/17
 なかトミ 
さて何を書こうか。以前の僕ならこんな書き出しはできなかっただろう。さて何を書こうか、なんて書けなかった。とても書けなかった。変わったもんだ。まったく変わったもんだ。これはどうしたことだ。

 いきなり「とりあえず書いてみる」ですよ。「とりあえず」「書いて」「みる」ですよ。なにはともあれ、まあとにかく、ひとまず、いったん。書くということを、文字を綴るということを。やって、やって見てみる、やってみた、書いてみる。youtubeの○○してみた、みたいな、それまで全然やったことないけど、実験的に、やってみたらどうなるんだろう的な雰囲気。
 で、これタイトル?少なくともタイトル的な位置に太字で書いてあって、このまあやってみた的な軽いような、今どきのような、ふわっとした感じがありつつ、フォントの感じとかね、妙にガシッと、「書きましたよ」みたいなね。「ぼく、書きましたからね!っ」みたいなね、強さと言うか、硬さと言うか感じます。
 これ、このギャップ。差?緩急っても言えるかな。がね、全体的に効いてるなって、読めば読むほどこの一見硬そうだけど柔らかいというか、でも実は硬い。みたいなね、この掴めなさがね、この書き手の味わいだなって、そういう感じがします。

 右上の日付はまあ書いた日だというのは最後まで読めば分かるんですが、その下の「なかトミ」これはね。ちょっと意味深ね。ひらがなの「なか」にカタカナの「トミ」。でなかトミ。ですよ。さとしなんか、トミーさんて中田富吉(なかたとみよし)っていうんだっけ?とか、略称みたいに読んでたし、みおちゃんは「なか・とみ(姓・名)」さんみたいに読めるね、なんて言ってたけど、これ結局なんだったんだろう。

 ようやく本文。で、書き出し「さて何を書こうか」ね。「さて」ってね、これ書き出しだけど、書く前のね空白というか書き出す前の時間を感じさせますね。「さて」って、ちょっと息を吐くというか、「よしっ」って力を入れるほどじゃないけど、それまでの状態から区切りをつけて「さて」って本題に入っていく、みたいなね。
 で、「何を書こうか」とくる。「何を書こうか」って、これ大谷さんのメモには「か」に丸がしてあって、「かな」(と書いてもいいくらい?)「散歩してる感じ」とあって、横に「リズムがある」とあります。続く言葉も、「書けなかった。書けなかった。」「変わったもんだ。変わったもんだ。」「どうしたことだ」と軽やかなんですが、こう書いていること事態が、以前には出来なかったようなことをまさにしている瞬間でもあって、起こってることはなかなか大したことでもあります。
 ぼくとしてはこういうところにギャップ。萌えー、はしないですけどね。書いているのは父くらい年齢離れてるおっさんですしね。でもこの一見軽やか、でもどうでもいいことなわけじゃない。けどそんな深刻ってわけでもない。みたいなくるくると変わっていく印象の、どっちが正解でもなく、両面あるあたりがね、いいよなーって、味わいだなーって思います。

 ・・・・・とまあ、たった三行でここまで書くことになったので、とても終わりまでいききれませんが、こんなふうに、一言一言をするめのように何度も味わい続けて、その味わいをその場にいる自分以外の7,8人から浴びるように聞くのが精読講座です。単発の講座だと、「読む体験を言葉にする経験値」が高い大谷さんの言葉の重みが強いのですが、通年講座の場合、参加者の経験値が高まっていくので、どんどん面白さが多重になっていっている気がします。

 さて、これが読まれる人にとってどんな体験なのか、については、長くなったので次に続く。


次のレポートはこちら。
これまでのレポートも併せてどうぞ。
第1回レポート

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