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2019年2月15日金曜日

【第1期】第1回レポート

ネット参加あり、乳幼児ありの「誰でも居られる」会場
(詳細は参加者でもあるみおちゃんのブログ参照:山根みおのブログ


【開催日】
2019年2月10日(日)、11日(月・祝)

【会場】
まるねこ堂。

【集まった人】
直前のキャンセルが二名あったのと、お一人はご家族の事情でどうしても参加が難しい状況になり、参加者5名(うち遠隔(ビデオ通信)参加が2名)、大谷、小林、に加えてそれぞれの子ども(新くんと伊吹)、子守や料理その他のお手伝いをしながら一緒に居ることになったなっちゃん(小林のパートナー)が集まっての当日となりました。(大谷のパートナーは参加者として出席)

【実施内容とレポート】

初日(2/10)
 13:00~16:00 「講師による基調講演」
 16:00~自由解散  「持ち寄り食会」

・二日目(2/11)
 13:00~18:00 「言語にとって美とはなにか 講読ゼミ」(11時開始の予定を変更)

どれもいわゆる「文章講座」としては普通ではないと思いますが「じぶんの文章を書く講座」としてはこれ以外のスタートの方法はないと、講師の大谷さんも主催のぼくも長い実践や考えから確信を持っている内容。当日の様子はどこまでレポートしてもレポートしきれませんが、なぜ普通のやり方じゃないのか(そもそも普通って何?という問いも立てられますがそこはおいといて)、ぼく(小林)の思う普通と通年講座とを比べながら当日の様子を紹介していく、という形でご紹介。

基調講演

開始直前の様子


まず「基調講演」については、普通の文章講座であれば、何か書き方についてのレクチャーや、(ワークショップ形式で?)お試しで書いてみたものを(セルフ?)レビューするとかが、置き換えられる内容として妥当な気がします。上手な文章や伝わる文章を書きたい場合はそれもありというか講演とか聞いてる暇があるなら具体的な指導や実践に少しでも時間を割くのは必然ですらあるでしょう。けれど「じぶんの文章」を書こうとする場合には話が全く違ってきます。

そもそも「じぶんの文章」を書くためのやり方や考え方がみんな同じというのはおかしな話。なので「これはじぶんの文章」「これは違う」と、じぶんの外側にあるものとして/一つの基準や正解があるものとして、やろうとするものではなく、どのように書いたとしてもそれは(全然じぶんらしくないじぶんの文章というものさえ含んだ)「じぶんの文章」であり、むしろ「どのように」の部分にこそじぶんらしさの純度をあげていく鍵がある、というのがこの講座の中核を為す考え方としてあります。

なので真っ先に共有するべき話とは、具体的な書き方ではなく、今言ったような哲学的とでもいうような、そもそも言葉とは書くとは、読むとはどんな行為なのか、そのイメージ自体を大きく変えるきっかけになりうるような話で、そうして話された言葉がこれからの一年の基本の調子(通底音)となり、その上でそれぞれがそれぞれの文章を書いていくという意味合いで「基調」講演とするのが、こんな少人数でわざわざ「基調講演」とかあえていうのも変な面白さがあっていいよね、ということで銘打つことになりました。


持ち寄り食会
買ってきてならんだだけの食材

調理進行中


とても勘違いされやすいと思いますが、これは一品持ち寄りの懇親会的なものでは全くありません。第一回目ということで懇親的な意味合いも多少はありますが、むしろそちらのほうがおまけの要素で、核心は別の所にあります。

その前にこの通称「食会」(しょっかい)がどんなものなのかを言っておくと、「集まった人で金額設定をして、食べたいもの買ってきて、それを披露してみんなで食べる」という集まりです。今回の設定金額は1000円で、会場の調理器具や調味料は自由に使用可能。その上で1時間半以内に近くのスーパーで食材(惣菜ももちろん可)を買ってきて、時間になったら買ってきた物を一品ずつ紹介しながら場に出し、すべて出し終わったら勝手に調理したりしながら食べる、というながれ。(なんと遠隔参加の人も、一緒に食べれないけど食材の披露まで参加。)


これのどこに核心があるかというと、「じぶんが食べたい物」を買ってきて、それを「一緒に食べる」というところ。翌日のゼミの講読本「言語にとって美とはなにか」的に言えば、じぶんの食べたい物(自己表出)をみんなで食べることによって様々な受け止められ方をし(指示表出性が加わって)、あっというまに完食したり、全員が予想外のおいしさに衝撃を受けたり、反対に食材が余ってしまったり、とダイレクトな結果が、露骨に/下世話に出る、というのが面白さであり奥深さです。

 ぼくとしては、じぶんが食べたいものを一緒に(みんなで)食べる、というシンプルな構造の中に書くことの本質が表れてくると思い切って言ってしまっていいんじゃないか思っていて、やってみてそのおもしろさも伝わったようで、通年講座中にもう一回(毎回?)やってみようか、なんていう話もでていました。とはいえ、食会についてこれ以上その面白さや奥深さを文章によって表現することは、講座のレポートの範疇を超えていると思われますので、この程度にとどめておいて、もうすこし詳細を知りたい方はこちらをご覧ください。(持ち寄り食会のサイト


「言語美ゼミ」(「言語にとって美とはなにか」講読ゼミ)



 知っている人は知っていると思いますが、知らない人にとっては聞いたこともないと思われる吉本隆明の代表的著作。言語の芸術(文学を筆頭に短歌・俳句・劇まで含まれる)の美(なにが/どのように美しいのか)を根本から論じているこの本は、戦後思想界の巨人と呼ばれた吉本の思想の根幹をなしており、難解で知られています。これを何回かに分けて読み込み、読み込んだ結果(感想や疑問などなんでも)をレジュメとして書いてくる(必須ではないが、書いた方が断然面白い)とのがこのゼミです。

 これこそ、書く技術や方法を学ぶとしたら最もやらない/やる必要のないプログラムだと思われますが、果たしてその通り、各自が書こうとするものに対して具体的な参考になったり、ヒントを与えるようなことは(あるかもしれないけど基本的に)なく、少なくともそれを狙ったものではありません。

 もちろん、言語の表現について書かれた本だというのも通年講座で扱う理由で、この本は講師と主催の言語観そのものといっても過言ではありません。が、それだけではなくそれに加えて重要なのはこの本が難しいということ。難しいので(特に最初は)何が書いてあるのかさえ、わかったようなわからないような、雲をつかむような/つるつるの大理石を登らされているような気分になります。でも読むことをやめずに続けてみる、文字を何度もたどり直し、たどっているじぶんに起こっていることを読み、また文字を読み返す。そうやって「難しい本を読んで感想を書く」という行為/体験のなかにこそ、じぶんの文章を書く手応えを掴むためのチャンスが無数に転がっていると思ってます。

このときの体験はそのまま、世界にまだ存在さえしていない「じぶんの文章」を書くために、自分が体験したことや眼の前の出来事を感じ、そのときじぶんに起こっていることに目を凝らし、言葉の輪郭を創り出していく/生み出していくことと重なっています。まさに言語そのもののようなシンプルなのに難解な本を読み、それについて書く、これこそじぶんの文章を書くためのトレーニングとしてうってつけ、なんじゃないかというのがこのゼミを組み込んだ理由です。

 だからこそ、レジュメを書くと言うことは重要であり、それゆえに怖かったり、なかなか手につかずについつい書き損ねてしまいがちで、講座の開始直前に一波乱が起こったりしたのですが(詳細は下記のレポート小説第0回を参照)、それだけの価値や重要度があるからこそ、だと思っています。


 ゼミについては、それぞれの書いたレジュメがこちらにアップされていますので興味のある方はぜひご覧ください。(まるねこ堂ゼミ 言語美ゼミ第2シリーズ)当日はこれを順番に読み上げていき、残った時間を自由に(感想や質問など)過ごすという流れでした。

こちらは主催側からの通常?のレポートとして書いてますが、その場にいる一人としての一人称のレポートを「すぺーすひとのわブログ」にあります。よろしければあわせて御覧ください。
じぶんの文章を書くための通年講座 レポート小説 第0回

【参加者の方の感想など】
(見つけ次第追加していきます。漏れがあったらぜひご連絡ください。)

山根澪さんの「山根みおのブログ」より
商店街に行ったときの行きやすさと、この家で催しを開いたときに思ったこと。


次のレポートはこちら。

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